マスコミは社会運動を報道しないのか

という点から考えるマスメディアと社会運動の関係
kyokotom 2026.03.31
誰でも

 最近の反戦デモの盛り上がりに対して、マスコミは社会運動(デモ)を報道しない、という意見がよく聞かれる。しかし、特に新聞はかなり報道しており、自分も今回に限らず、大きなデモが生じるたびにいくつかインタビューを受けている。

 だからここで言われているのは「テレビが報道しない」ということになるだろう。しかしテレビ番組も別にデモや社会運動を報道しないわけではない。テレビの報道の常で、あまりきちんとしたアーカイブがないから明確なデータを示せず申し訳ないのだが、日本のテレビ報道番組は社会運動を「デモとして」「社会運動として」報道するというよりは、環境汚染や人権侵害といった社会問題の報道の後で「市民からも批判の声が上げられています」といった形で、付帯的に報道することが多い印象を受ける。

 例えば、日本有数の社会運動団体として、ノーベル賞を獲得した「被団協(日本原水爆被害者団体協議会)」などを連想するとわかりやすいと思う。被爆者や戦争関連の報道で被団協の活動が出てくることは多いが、しかし被団協という組織名を知らず、さらに社会運動団体だと捉えている人は極めて少ないだろう。そのため、被団協が出現する報道は多いが、社会問題報道の一環でその活動が紹介されるのであって、運動団体としての報道は少ない。

 裏を返せば、特定の社会問題に対して市民のこういう声もあるよ、という形ではすでに社会運動やデモは報道されているし、その意味では、社会運動はメディアを通じて市民の声を社会に届けるという一定の啓発作用をすでに果たしている。日本の社会運動参加率が極めて低いことを考えると、むしろ比較的報道されているようにも思う。しかし、社会運動をしている人からは「報道されていない」と見られることが多い。ようは、運動参加者の人々が「見てほしい」要素と、報道する人々が「示したい」要素の間にズレがあるのだろう。

 報道時間を長くすればよいのだろうか。それとも、参加者へのインタビューなど、視聴者が共感を促すであろう要素を多く盛り込めばよいのだろうか。このような社会運動の報道の「され方」に関する先行研究は一定数あり、デモをはじめとした社会運動は、報道されたとしてもその過激さを強調して報道されるか、あるいは「若者」や「女性」といった担い手の人々の属性に着目して報道されるので、報道されればいいというものでもない。このあたりは以下の記事で先行研究をまとめたので、もし関心があればご参照ください。

 上述のように、社会運動の実態が運動参加者の意図通りに報道されない状況は日本のみならず多くの国々で見られるため、運動参加者自身が情報発信も担うようになった。このような発信活動は、2010年代初頭くらいまでは「オルタナティブ・メディア」とか「メディア・アクティヴィズム」と呼ばれていたが、今はあまりに当たり前になったのであまりそういう言われ方もしていない気がする。以下の二つの投稿は、まさにオルタナティブ・メディアだと言えるだろう。

 二つ目に紹介したキニマンス塚本ニキさんの投稿は、報道側が重視するであろうデモの機能とはややズレているが興味深い。上述の通り、マスコミ報道におけるデモの機能は「社会問題の周知」であるため、デモが「映え」るかどうかはマスコミ報道においてはとくに関係がない。これだけの人数が来ている、という実態を伝える上では重要だが、それなら世論調査のほうが数量的に正確であると受け取られそうだ。
 しかし、キニマンスさんの指摘する通り、デモが人数や問題啓発だけではない、文化的魅力を持った活動でもある(「映える」)のだ、という点は、日本社会ではあまり重視されていないがその通りだと思う。ここ10年で最も報道された日本の社会運動の一つに安保法制抗議行動があるが、やはりその文化的な側面を高く評価されていた。その点で、社会運動をカルチャー的に切り取る報道などがもっとあってもいいのかもしれない。

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