デモをスケッチする

「見る」「描く」ことで理解する社会運動
kyokotom 2026.04.03
誰でも

 最近の反戦デモの動きの盛り上がりをフォローしようと、つい時事的なことばかり書いてしまったので、今日は少し別の角度から社会運動の話をしたいと思う。息つく暇のない世界情勢であるが、少し休息的にでも読んでいただければ幸いである。

 現在はオーストリア・ウィーンで研究活動を行っている。実はウィーンで研究生活を送るのは二回目で、2019年から2020年までウィーンに滞在していた。当時は気候変動への問題提起を行う世界的な社会運動である「Fridays for Future」で毎週金曜日にデモが行われており、私もたびたび見に行った。

 さて、デモの映像が報道されたり、SNSに流れたりしているとき、あなたは何を見ているだろうか。プラカードの文字か、発せられるスローガンか、人々の動きだろうか。私は実はずっとそれらとは全く異なるものを見ていた。なぜかというと、ウィーンにいるにもかかわらずドイツ語がわからなかったからである。何も分からなかった私は、とりあえずデモを写真に撮ったり、スケッチしたりしてみた(なぜスケッチしたのかは最後で説明します)。

Fridays for Future のデモで見られたバナー

Fridays for Future のデモで見られたバナー

 描いているうちに、デモを構成する空間や道具の面白さ、工夫に気づく。道具として一番多かったのは、カード(棒をつける場合もある)を高く掲げる、いわゆる「プラカード」である。もっとも、プラスチックではなく段ボールだが……。
 次に多いのは、複数人で持つ、上記のようなバナー。この「複数人で持つ」というのが実は結構ポイントで、私もたびたび「やることないならこれ持って」というようなことを言われて一緒に持つことになった。みんなでバランスよく持って歩くのはなかなか大変である一方、何か連帯感のようなものも生まれるし、より「みんなと参加している」感じが生まれる。
 さらにバナーは用途も多様で、木や電柱にくくりつけ、集合場所の目印にもできるので、これは便利だと思った。バナーはステンシルなどで作った手作り感の強いものもあったが、印刷業者に頼んだと思しきしっかりしたレタリングのロゴもある。

右上の人の帽子はいわゆる「プッシーハット」。装いを通じて複数の社会問題に関心を持っていると示すこともできる。

右上の人の帽子はいわゆる「プッシーハット」。装いを通じて複数の社会問題に関心を持っていると示すこともできる。

 着ているもので気候変動をアピールする、というやり方もある。気候変動に対するデモなので、緑の服を着ている人が多く、犬のリードを緑にしてアピールする人もいた。缶バッジをつけるといったシンプルなやり方もある。
 回を増すごとに、お揃いのユニフォームに身を包む若い人も多くなっていく。上手の右下のように、ゴミ収集業者のユニフォームを模した服に身を包み、ゴミを拾いながら歩く人々もいた。もうひとつ、Fridays for Futureに特有だと感じたのは、白衣を着て歩く人々の姿だ。私は春夏秋冬とFridays for Futureのデモを見てきたが、夏のデモではそのまま腰に巻いたり、冬のデモではパーカーやジャケットの上に白衣を羽織ったりする。
 なぜ白衣なのだろうか?その背景には、Fridays for Futureのスポークスパーソンのひとり、グレタ・トゥーンベリ氏が、とくに科学や学術的知見を重視する姿勢をとった点が大きいのではないかと思う。ウィーンのデモではマガジンラックの搭載されたクーラーボックスのような箱を引いてデモを歩く人もいたが、これはなんと気候変動に関連する学術論文である。関心を持つ参加者には、問題提起の発端となった論文を配ってコミュニケーションを取る。

プラカードにも、地球の気温の変化を示すグラフを載せている

プラカードにも、地球の気温の変化を示すグラフを載せている

 社会運動において、活動する人々が自分たちの目的を達成するにあたり効果的だと考えて選択・実行する手法を「レパートリー」という。例えば人々の意識啓発や問題周知に適した手法としてデモというレパートリーが選ばれるわけだが、デモを構成する道具や言葉もまたレパートリーと捉えることができる。緑という色も、地球のイラストも、環境保護の重要さを伝えているし、白衣や論文の配布もまた、科学知を重視するという姿勢を伝えている。
 もうひとつ、レパートリーは対外的な周知機能のみならず、参加者の間で連帯感を醸成する役割も持っている(人々の継続的な繋がりがないと社会運動は続けられないから、持続そのものを目的のひとつとすることは十分に考えられるだろう)。どうすれば他の参加者と継続的に繋がりが持てるだろうか、連帯感を共有できるだろうか、と考えた時、プラカードを一人で持つのもいいが、バナーをみんなで持って歩くのもいい、と考えることもできるだろう。

 社会運動の研究者としては、こうした「観察」「記述」もまた、社会運動に何か資するところがあるのではないかと考えている。やっている人からは見えない効果や、参加者が無意識に選んでいる事柄を、こうして描き/書き出すことができる。それは目の前の社会問題の解決にはならないかもしれないが、社会運動を未来に継承したり、活動の多面的な意義を考える上では有用なのではないか。

 スケッチという手法を選んだのは、同じく社会運動論研究者であるPijatta Heinonenさんの影響である。ピヤッタさんはスケッチという手法を使いながら社会運動を分析する研究者であり、「描くことでよりよくわかることができる」とたびたびおっしゃっていて、私は、それをデモでやってみることで少しわかる気がした。描くことで、写真に撮る・報道を見るだけではわかりづらい人々の意図や工夫に少し近づける気がしたし、運動論的にどのような含意があるのかより深く考察することができるように思う。

こちらはピヤッタさんとの対談。面白いので是非。

本稿は、DIJ(ドイツ日本研究所)のブログ「sustainability in Japan and beyond」https://sustainability.hypotheses.org/に寄稿した文章を一部省略して日本語化したものです。

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