ぎゅうぎゅうのデモ、スカスカのデモ
ウィーンで行われた自転車によるデモ「Kidical Mass」に行った。日本学科の先生から教えていただいた、道路における自転車利用者への公平な権利を要求するおやこデモである。自転車に乗った子どもと大人がいっぱい来ていた。これ自体は「Critical Mass」という自転車による権利デモのパロディで、子どもも参加できるのがポイント。

集合時の写真。自転車に「Kiddical Mass」と書かれた小さなフラッグをつけている人が多い。
自転車にバルーンをつけたり、シャボン玉を吹きながら走ったりとおもしろ味が強い。子どもたちのキャーキャーという声もかわいらしい。ウィーンには自転車専用道路がきちんとあり、「そんなに権利を求めるほど状況が悪いとも思えないが……」と感じながら参加したが、実際に大勢で自動車道路の真ん中を走ってデモすると、自転車がいかに狭い道に追いやられているか身体感覚としてよくわかった。一時的ではあるが自由になると、普段の不自由に慣らされてしまっていることに改めて気がつく。

リングと呼ばれるウィーン中心部の大きな通りを自転車で走る。思った以上に気持ちがいい。
日本と欧州のデモを調査していて感じる違いはいろいろあるが、この「ぎゅうぎゅう感」と「スカスカ感」は一つの違いだと思う。日本の場合、デモは警察に空間的にも規制されている部分が大きく、使える車線も限定されているのでかなりぎゅうぎゅうになる。だから、今回感じたような自由な身体感覚はあまりないかもしれない。
かといって、社会運動によくある「欧米はすばらしい、対して日本では……」ということが言いたいわけでもない。ぎゅうぎゅうにはぎゅうぎゅうの良さがある。それは、例えば隣の人との一体感や興奮、情動といったものなのではないかと思う。安保法制やこのたびの反戦平和デモにはそれも感じる。よくこうしたデモで、参加経験の少ない人が「フェスみたい」といった感想を語ることがあるが、このフェス感は「スカスカ」ではあまり生まれない感じもする。少ない参加者の中で目立つよりも、群衆の一部になるほうが気が楽という人もいるだろう。このたびの平和反戦デモも、デモカレンダーやネットでの参加を明示するといった形で参加者の数の多さを明確に示したことが、参加のハードルを下げることへとつながっている部分があると思う。人々が何かをやるにあたって「みんなもやっている」というのは一つの大きな理由になる。
ちなみに、だいぶ政治的な背景や弾圧の深刻さが異なるので一概に比較できないが、香港のデモなども先行研究を読むとだいぶ「ぎゅうぎゅう」のようだ。
今週は、社会運動のぎゅうぎゅうとスカスカでもう一つ考えたことがあった。ウィーンのヴォティーフパークでパレスチナ連帯キャンプがあったので立ち寄った。テントが三つと物販・フライヤー置き用のデスク、バナーなど。立ち寄ってカンパさせてもらったが、机にくくりつけた日傘や旗など、なんか屋台みもあって、スカスカでのどかであった。もし、これがぎゅうぎゅうだったら立ち寄っていないだろうと思う。

奥の日傘のところで参加者数名が激論中であったが、他に人はいなくて、それもなんとなくのどかでよかった。
こうした活動は「プロテストキャンプ」と呼ばれるが、プロテストキャンプであれデモであれ、報道は密集的な・大規模な活動の風景を捉えがちだが、こういう日常の中に散在する、のどかで小規模な試みのほうがやりやすいし入りやすい場合もあると思う。
あまり関係はないのですが、幻冬舎オンラインで連載を始めました。完全に趣味ですが、多少の社会運動みもありますので、よかったら。
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