『九条の大罪』を見て考えた社会運動と専門家
『九条の大罪』Netflix版を見た。原作はどちらかといえば点を置いてその行間を読ませるところが魅力的な作品なのだが、Netflix版は点と点を線でつないで、良くも悪くもより丁寧にわかりやすく伝えている感じがする。エピソードによってはそれがよく、エピソードによっては饒舌すぎる、という印象も受ける。それでも原作と同じように全部一気に観てしまったし惹きつけられた。
印象に残ったのは、AV女優の出演強要に関する問題がモチーフとなっている「消費の産物」。亀岡玲子さんという、出演強要を問題視する女性弁護士が街頭で演説をするシーンもある。しばしば社会運動に対するステレオタイプ的な描写がドラマなどで話題になるが、そういった描写もない。
ここで主人公の九条間人が亀岡弁護士を評する際に「弁護士ではなくて思想家か活動家」というような表現をしていてとても興味深かった。医師であれ研究者であれ、あるいはジャーナリストであれ、何らかの専門家が社会運動に携わることは少なくないわけだが、その時に職業的な倫理や規範がコミットメントを阻むこと、他の人と同じようにコミットできないということはあると思う。私自身、研究者という立場と社会運動の参加者という立場の間でかなり葛藤した。そのいきさつは以下の論文で書いたので、読んでみてくれると嬉しいです。誰でもダウンロードできます。
ただ、『九条の大罪』をみていると、(現実には多様なのだろうが)弁護士の社会運動への関わり方は、構造上鮮明にならざるを得ない部分もあるのだろうなという感想も持った。誰の味方につくかが明確である以上、コミットメントも明確にせざるを得ない。もちろん、問題によっては知識提供だけする、講演で登壇する、メディアで発言するなど、他の専門職に近い関わり方もあるのだろうが、クライアント(問題当事者)との関わりが近い、職責として味方であらねばならないという構造が影響を及ぼす部分は他の専門職とやや異なるのかもしれない。
ちなみに専門職の社会運動への関わりについてはこの論文に詳しい。法曹関係者による社会運動の事例研究でもある。
社会運動に関わる人としてソーシャルワーカーや新聞記者も出てくるので、九条の大罪は社会運動ドラマ(?)としてもおすすめ。描かれ方も全体に丁寧であるが、「消費の産物」の最後、AV女優の笠置雫と亀岡弁護士が対面したときの笠置雫の台詞(このシーンとやりとりはドラマオリジナル)はネガティブな意味で印象的だった。詳しくは書かないが、社会運動、人権保護的な活動をしている専門家は、しばしば「恵まれている」「あなたは賢いけど私は……」という言葉を投げかけられがちなので、実際言う人はいるんだろうけど、妙に違和感を持ってしまった。
真鍋昌平氏による原作は、女性をかなりフラットに描いている。峰なゆか氏が真鍋氏との対談で「真鍋さんの作品には、美人でもなければブスでもない女性がたくさん出てくる」「どんなにポリコレを意識していても、心で女性蔑視なことを考えている人の描く女性って、たいてい超美女かドブス、どっちか」(『AV女優ちゃん』二巻)と語っており、その意味では蔑視も神聖視もしていないというほうが的確かもしれない。それは女性同士に関しても同じで、比べもしないが過度に連帯させようともしていない。だからこそ、雫と亀岡弁護士、二者が比較の俎上に乗るような台詞に違和感を抱いたのかもしれない。
ちなみに私の原作おすすめエピソードは、犯罪被害者(サバイバー)で自衛隊を辞め、大麻グロワーになり娘と暮らすシングルマザーの「のらさん」が出てくる最新エピソードである(「ビッコミ」で単話で読める)。これだけで矛盾いっぱいだが、その矛盾を多面的に描き、母や犯罪者といった役割を貶めも神聖視もしないところが良い。娘のことも愛してるか愛してないかわかんないんだが、それだけに最新のエピソードはグッとくる。
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