『銀河の一票』がとてもよかった

誰かをヒーロー化しない政治はとてもいい
kyokotom 2026.07.01
誰でも

 ドラマ『銀河の一票』を最終回まで見たが、とても良かった。

 選挙を主題にするドラマということで、私は当初、もう少し誰か(たとえば主人公の一人であるあかりさん)をヒーロー化するような話だと思っていた。しかし、暴露系ユーチューバーの彼とか、結構端々のキャラクターまで細かいエピソードが出てくるので10話ではとても収まりきらないのではないか?と思ったし、実際に最終回はだいぶ詰め込んでいると感じたのだが、ただ、この「いっぱい人がいる感じ」がとてもいいと思った。多分、現実的にこうした物語に共感や居場所、励ましを求める人の支持を集めようとするなら、あかりさんをもっとヒーロー化したり、あかりさんとまつりさんのシスターフッドを強調すると思うのだが、むしろいろんな人がいて、いろんな思惑があって、でもちゃんと志がある、というのが、ある意味で最もきれいなこととしての政治という気がする。

 私は社会運動を研究しているが、社会運動は誰がやってもいいみんなのもので、だからこそ抜けてもいいしやめてもいい。特に少し前に盛り上がった社会運動だと、グレタ・トゥーンベリさんや周庭さんのようなスターがフォーカスされがちだったが(最近の報道はそんなこともなくなった)、本来は誰がやっても同じようにできる、取り替えが効くのがいい社会運動であり社会だと思う。「この人でなきゃいけない」という社会運動は、その時点で社会から遊離しているし、従事者を疲弊し燃え尽きさせてしまう。

 ラストを見ながら思ったのは、おそらく選挙も社会運動と同様で、誰がなっても同じように働けるのがいい首長制、誰がやっても同じように機能するのがいい政治なんだろうということでもあった。最後のほうは、もう誰が都知事になってもいいなと思いながら見ていたが、ある意味そう思わせるのが大事な物語だったのだとも感じた。

 私たちは銀河の中で、存在としてそれぞれ唯一の星だが、しかし役割としては取り替えが効きながら銀河を構成している。それが社会や組織のいいところだと思う。そういう意味で、属人性とか唯一性の持つドラマチックさを発揮させるほうがお話としては盛り上げられるし、刺激も生み出せるのかもしれないが、群像劇的というか、それぞれの背景が少しずつでも見えてくるというか、もっとはっきり言えば、ヒーローをあまり感じないのがよかった。

 もうひとつは、過去の「償い」や「失敗の取り返し」に少なくない議論が割かれていたことだ。社会も組織もみんなで続ける、取り替えのきくもので、だからこそ中身を変えても継承ができる。そして、時間をかけて続くからこそ、間違いを許せる、償いもできる。

 最後に、私が好きなのは、あまり分かり合えなそうだったIT社長と元都連会長の最後のやりとりだ。いま、属している「界隈」や「ジャンル」によって、どんどん分かり合えないというか、「こいつとはやっていけなそうだな」と感じる人が増えているし、そういう人を事前に避ける仕組みが個人化によって充実している。そんな社会の中で、選対みたいな古くさい組織のもつ動員や強制性は間違いなく忌避されるだろう。そういう組織なしには出会えなかったであろう個人間の相互理解をちょっとだけ促した、それが少しだけわかる後日談も良かった。

最近のポッドキャストでは銀河の一票の話ばっかりしています。

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