連帯が可能にすること
『SPUR』10月号の特集「連帯が可能にすること」で、ここ最近の平和反戦デモと社会運動についてお話しした。タイトルがとてもいいので、この記事でもそのまま使わせてもらった。下のリンクから全文読める。
女性誌のような、社会運動を取り上げるとは一見思えない媒体がデモを取り上げると「あの◯◯が!」という人を見るが、元々女性誌は1980年代のモア・リポートをはじめとして多くの社会問題提起をしてきたのでそれほど社会運動の報道は珍しいものでもない。SPURもマリウス葉さんやブレイディみかこさんの連載で頻繁に社会運動・社会問題について言及している。
これは前も書いたが、あるメディアを指して「◯◯は社会運動を報道していない」というのは結構よく見る(私もたびたびやってしまう)紋切り型である。しかし、どういった媒体でも意外と報道しているし興味深い角度からのものも多いので、ぜひ一度いろんなメディア報道をチェックしてみてほしい。
デモというレパートリーにおける時間感覚や空間の認識に対する視点、参加する際の服装やふるまいなどの切り口は、少なくとも自分が受けてきたデモに関する取材では初めてのもので、むしろこうしたところに文化、生活、政治をつなげてきた女性誌の独自性があると思う。そうした取材に対して、多くの研究成果を盛り込みながら(さすがに文献情報までは入れられませんでしたが……)お話できるのは嬉しいことだった。たとえば「運動に参加している他者に”完璧”を求めてしまう」「現場にいなければ参加とみなさない」といった慣習が社会運動の参加者の幅を狭めてしまうことに関しては、以下のEmma Craddockの本なども参考になる。
デモの報道でよく見る紋切り型(「デモは怖い?意味がない?」「若者が始める普通のデモ」みたいな)ではない内容のお話ができるようになったのが、運動への多面的な「見方」の成熟でもあり、そういうお話を雑談や取るに足らないこととして切り捨てられなくなったことが私としてはとても嬉しい。かつ、ここで話しているようなことは、Social Movement StudiesやAntipode、PoLARといった社会運動論・政治人類学・人文地理学の学術誌で論じられている事柄で、広義の社会運動論・社会運動研究の知見でもある。こうした議論ができるようになったのは、ひとえにアクティビストとしても多くの経験を持つ編集者の方、ライターの方のご尽力の賜物だと思う。
ちなみに、同じ号で「人生でシャネルのバッグをひとつ」のインタビューも受けている。桐野夏生さんもお答えされているのだが、それが私には意外だった。女性の貧困やウーマンリブをはじめとする社会問題に関する作品を多数書かれてきた作家さんと、ハイブランドのバッグがお好きというイメージが結び付かなかったのだが、それこそ偏見だよな、と反省した。ブランドの鞄を持ってデモに行ってもいい、それで運動の幅が広がるのだから、と自分でもインタビューの中で言っているのに……。
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