猪瀬直樹氏のお話を聞いて:「反権力」が「ネオリベ」として認識される時
先月Abema Primeに出演したのだが、ゲストで出演されていた猪瀬直樹氏の話が面白かった。 OTC類似薬の保険対象外しや病床減を推進する猪瀬氏の意見を聞くというコーナーで、私は猪瀬氏、というか1970-80年代に活躍した多くのジャーナリストや知識人の人々の現在地について、典型的な「リベラル(80s)からネオリベ(90s)になった人」というイメージを持っていたが、思った以上に身振りや言葉が「反権力」の「活動家」らしいものだったのに驚いた。
「既得権益」「しがらみ」「不透明さ」に対抗し、「主体性・自主性」を称揚する。私が研究してきた『ビックリハウス』や『宝島』の若者たちにも似ている(猪瀬氏も同誌に寄稿している)。それを「ネオリベ」や「転向」と評するのは、途中から劇場にやってきて二幕目から彼を見た私たちで、本人としては一幕目も二幕目も一貫して同じ身振りをしている。 舞台の背景が変わっているから、二幕目だけを見た人には全く違うもののように見える。猪瀬氏というか維新の会の想定する、いわゆる「ネオリベ」的な人間像・社会像の課題を指摘する堀潤さんに対して「これはイデオロギーの話じゃないんだよ」と言っていたのは象徴的だと思った。 戦後民主主義のきれいごとも嫌い。中間集団・圧力団体の不透明さもしがらみも既得権益も嫌い。そういうのは全部イデオロギーだから解体すべき。だから個人の主体性を信じて、社会の合理性と透明性という、一見イデオロギーではなさそうに見える価値を支持しようとする。
私はあまり正しくないただの研究者なので、猪瀬直樹氏と対峙した時と同じく、弘兼兼史氏の漫画や糸井重里氏のエッセイを読む時に、彼らの中に社会運動の身振りが残っていることにだいぶ感心してしまう。一般的には転向したと見なされる人々かもしれないが、むしろ社会運動が転向しきらせていないと思う。それほどまでに社会運動が大きい経験であることにすこし感動もしてしまう。 こうしたことをSNSに書いたら、猪瀬氏から反応をいただき、新刊『戦争シミュレーション』をご献本いただいた。またこうしたことについて議論できる機会があればと思う。
ちなみに、この収録日はPOPEYEの取材もあった(このインタビューは、2026年1月号の「ガールフレンド特集」に所収されている)。50年分のPOPEYEをピックアップしながら時代の変遷を語るという企画だが、同誌が軸となるメッセージを変えずに、時代の変化を汲み取りながら、ジェンダー平等かつ多様性を可視化させる方向にアップデートしていることがなにか素朴に嬉しかった。変わらない身振りと変わろうとする姿勢がいい意味で両立し得ると証明された気がして。
もしよろしければニュースレター「富永京子のモジモジ系時評」にご登録ください。
すでに登録済みの方は こちら