『ダウンタイム』と女性専門職のジレンマ
Netflixの『ダウンタイム』を見た。ややグロテスクさや露悪的な部分もあり、途中見進めるのがキツくなってしまったが、それでも続きが気になって全部見た。社会運動的にはルッキズムとの関連でいろいろ感じる人が多いかもしれないが、私は「女性医師」と「女性患者」、さらに言えば女性専門職と女性顧客という職業と役割のジレンマを描いたドラマだとも思った。
たぶん、単にルッキズムを論じるとすればエステティシャンとか美容師でもよく、不可逆的かつリスクがあるという意味では、美容医療や染髪などでもある程度同じような事柄は論じられるのだと思う。ただ「医師」と「患者」、そして両者の多くが「女性」だから成り立っている物語だと思った。
日本の社会調査で幅広く検討されているひとつに「職業威信スコア」というのがある。私は社会階層論の専門ではないので、詳細な説明は以下の論文に譲る。以下は「ジェンダーと職業威信:ジェンダー・ステレオタイプに注目して」という脇田彩先生の論文で、『理論と方法』という日本を代表する計量社会学の論文集に掲載されたものだが、この論文によると職業威信スコアとは、量的調査によって得られる「職業に対する社会的評価を表す得点」(p.52)である。
この論文は各職業における職業威信のジェンダーギャップを検討しており、p.57の図などにその結果が示されている。「医師」は職業威信がダントツで高いが、一方でジェンダーギャップも大きい。主人公の一人に、美容整形を日本社会に広めた名医を父に持ち、父に追いつきたいと願い、父に何もかも奪われてしまう女性医師の凛さんがいるが、私は「親子の物語」でありつつも、どこまでもガラスの天井に阻まれてしまう「ジェンダーギャップの物語」としても見てしまった。
もう一つ、この威信の高い専門職につきまとうのが「専門職パターナリズム」。医師は高度に専門性が高い職業であると見られているため(もちろん事実そうであるが)、患者自身の意思決定よりも医師の判断が優越する場面が多々あるとされている。これを踏まえて興味深かったのが、『ダウンタイム』の患者たちの多くが「自分で決めた」と語るところ。また、顧客のひとりであるゆり子は、がん患者として医師のパターナリズムに対する反感を口にする場面もある。
多分、劇中でしばしば見られる「自分で決めた」という顧客の表明自体は、どこからがルッキズムという価値の内面化で、どこからが美しくなりたいという本人自身の意志なのか、という線引きの曖昧さ・難しさを示す表現なのだろうが、私自身は専門職パターナリズムと主体性・自主性の問題に引きつけて見てしまった(「内面化」はある種のマジックワードで、どのメカニズムで内面化されるか説明しないとなんでも内面化になってしまうのであまり好きではなく「ルッキズムの内面化」のような話に回収したくないのも正直なところ大きいが)。
社会運動でいうと、精神障害者の医療をめぐる運動などは専門職パターナリズムに抵抗し、当事者団体が患者の自己決定権を主張してきた。また「患者」という表現そのものが一種のスティグマであるとして、そう名乗らない場合もあるという。こうした運動については以下の伊東香純さんの本などに詳しい。ともあれ、美容整形の良し悪しについてはここでは言及しないが、医師と患者をめぐる自己決定について考えさせられる物語でもあった。
主人公である女性医師・文さんも凛さんも、一貫して全く正しくなく、その時々によって揺らぎ、お互いに敵になったり味方になったりするのだが、この「揺らぎ」がとても興味深かった。歴史社会学者の目黒茜さんは、歴史社会学の観点から女医が女性の身体をめぐる権利に対して果たしてきた役割を明らかにしている。目黒さんの研究を見ると、女性医師という職業がいかに両義的かということがわかる。いかに制度的なアクターの中でうまく立場をとりつつ、自分たちの専門職としての立場を使いながら、女性たちの身体の権利を守っていくか、ということが求められているというか。以下は目黒さんの論文。
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